長沙便り2

岳麓山ハイキングを終えて。小生、「ハイキング・旅遊同好会」を立ち上げました。
11月は異常気象とも言えるほどの暖かい秋日和が続きましたが、12月に入り一転し長沙らしい氷雨が降る寒い日々になりました。
3月11日の東日本大震災以来、「峠」HPにも原子力発電について様々な意見・提言が寄せられ、今般のTPPも俎上に載っています。かかるseriousな議論が続いている中に「長沙便り」という、いささかのんびりした近況報告は如何かとの思いはありますが、新任地校での生活を通して観察した次世代を担う中国の若者達の姿をもう一度、皆さんにお知らせし度く、関連写真を添付し一筆啓上します。

当初、一年の積りで来た長沙ですが、早、3度目の冬を迎えようとしています。8月末に湖南渉外経済学院から、この長沙明照日本語専修学院に移りました。3万2千人が学ぶ広大なキャンパスを持つ私立総合大学の渉外経済学院と異なり、明照学院は学生数が500名程度の小さな3年制の日本語専門の学校で、建物も教室・職員棟と学生寮の2棟しかありません。学生層も渉外経済学院とは全く異なります。渉外経済学院は国立大学に入れなかったとは言え、普通高校を卒業した者ばかりでしたが、明照は家庭の事情から中学を卒業後、または中学・高校を中退して働きに出ていた者が殆どです。そのため年齢層も最年少は13歳、最年長は28歳と、大きな開きがあり、凡そのところ、1年生が15−18歳、2年生が17−20歳、3年生が19−22歳と言うところです。

極端な学歴社会の中国で、社会に出る前に「学歴」のハンデイ・キャップを負った(或いは背負わされた)彼等ですが、その影を思わせる表情は全く見えず、校内は溌剌とした明るい少年・少女と青年の若さで溢れています。

社会の底辺に埋もれることなく、日本語力によってハンデイを乗り越えて「より良き職業と生活を掴み取ろう」と、元気に日本語の学習に取り組んでいる姿に「加油」「頑張れ」と声援を送りたくなる日々です。下手な同情は全く無用です。
1)明照日本語専修学院
  1995年に創立された老舗校でもあり、私学ながら日本語教育業界では知名度は高いようで、卒業生は広範な分野で働いており、当院を卒業した研修生の日本での評判も高く、毎年、数十名が選ばれて日本へ派遣されているとのこと。
    
  院長の夏氏は東大大学院(教育学)を卒業後、東京で数年間、会社勤めをして社会経験を積み、さらにイギリスに留学。帰国後、父親が創立したこの学院や東京早稲田の中国語学校の運営に当たる一方、湖南大学院教授として院生の指導をし、ソフトトウェアーのアウトソ−シング請負会社まで立ち上げる エネルギッシュな「女強人」です。
  その夏女史と、紹興市で開催された日本語教育研究会で知り合い、明照の底上げのために手を貸して欲しいと頼まれたのがきっかけで、ここに席を置くことになりました。 懸案だった労働ビザの1年延長も夏院長の当局幹部とのコネと「特別な根回し」  が功を奏し難なく許可されました。
  (注:中国の大学教師の定年は60歳で外人教師は65歳です。65歳以上の外人
  教師に対する労働ビザは原則,不許可です。)

2)学院の生活
  学生たちの入学のきっかけは「親や周りから勧められた」「日本のアニメが大好きで」  が一番多く、中には「日本語の音の美しさに魅かれて」と言うのもいます。卒業後は「日系の会社で働く」「研修生として日本で働く」ことを希望する生徒が殆どです。渉外経済学院では「日本語教師になりたい」「その為に日本へ留学したい」  という者が数多くいましたが、明照には、それが見られません。叶わぬ夢と現実的に考えているからでしょう。ただ、日本への憧れと思いを胸に机に向かうのは、渉外学院の生徒と同じです。
  
  彼等は学歴のハンデイを克服するために二つの方法にチャレンジします。一つは日本語能力検定試験1級(N1)か2級(N2)に合格し、学歴では無く実力で競争することです。N1に合格すれば日本語を使う仕事に就くチャンスは大きくなり給与も他者より高くなります。
  二つは明照の提携校の国立大学(長沙大学、農業大学)の入学資格試験に合格することです。受験料200元を払い、合格すれば、年間授業料850元を2年分払うことで通学しなくても大学卒(専科生)の資格を得られますし、履歴書にもそう記載出来ます。換言すれば大学卒の肩書を金で買うことが出来るわけです。ただ、卒業証書の押印が普通の通学生とは異なるために、両者の違いは証書を見れば明らかになります。
  (通学生の年間授業料は5400元。因みに明照のそれは8000元、渉外経済学院は1万2千元)
 
8月末 新入生を歓迎光臨

9/7 入学式で

3年生

2年生の稜李純子(20歳)。学内スピーチ大会で、高校時代は家出を繰り返す不良だったが、日本語に出会いまともな道を歩みだした事を吐露。父親がファンだった日本の女優に因んでつけたと言う「純子」が好きで、日本に行けたら藤純子を名乗りたいと言う。

A授業
  小生は1年生の初級日本語(語彙・文型・会話)、2年生の中級日本語会話、1級(N1)合格を目指す3年生の商務会話、各1クラス計100名ほどを担当しています。 1回の授業は2コマ90分(間に10分の休息)、週に16コマなので、時間的  には余裕がありますが、授業の予習、資料の準備、レビュー、テスト添削などで1週間が経つのを速く感じます。
  8時20分に1時限目が始まり16:35pmに最後の授業が終わります。ただ、学生にとっては、これで一日が終わったわけではなく、金・土を除き、毎日夜7時から9時まで教室に戻り半強制的な自習です。と言うのも、この間は寮の部屋が消灯になるからです。
  学生寮の1階に住む小生も、ボランテイアとして担当の3クラスをほぼ毎日巡回し、彼等の相談に乗ったり、受験問題の質問に答えたりしています。    
  
B教師陣
  鹿児島大、岡山商科大に留学した女性2名を含め、総数17名です。
  日本人教師は4人で、中国人の奥さんを持つビジネスコンサルタントだった60歳の男性、大東文化大修士コースを終えたばかりの女性、阪大・筑波大の大学院で言語学を修めて日本に帰化した教務主任と小生です。
  みんなが日本語を流暢に話すし、学生も曲りなりに話せるので、小生の中国語が一向に上達しなくてもcommunicationに不便を感じません。

C息抜き
  都心からバスで1時間もかかる片田舎にある明照の周りには娯楽的なものは何もありません。僅か1軒のインターネットカフェと数件のカラオケ屋があるのみです。ために、学生にとっての息抜きは、不味い学食を避けて、近辺の食堂で夕食を取るとか、土・日にバスではるばる都心へショッピングに行くことぐらいです。
  時に、近辺の農家でやる野外炊飯会「農家楽」は大きな楽しみです。
  小生の部屋での夕食会や駄弁り会も心待ちにしているようです。夕食会では、小生は学生に人気のカレーライスを供し、腕自慢の学生が肉や魚、卵や野菜を材料に唐辛子ベースの湖南風料理を作ります。主に麺類やパンだけで自炊をしている小生にとっても楽しい一時です。
  また、岳麓山(長沙市で唯一の山であり4つ星の国家指定景勝区)へのハイキングは、登山好きの学生と小生の最高の心身リフレッシュになります。
  
1年生。いたずらっ子の李とフー。共に16歳
授業の合間の息抜きに漢字の一部を使った尻取りゲーム(「話」→「舌」→「吐」→......)をチームで競う。漢字の本家だけあってゲームに熱中。制限時間を守らせるのが大変。
チームで作戦を練る
底冷えの教室でN1受験勉強(3年生)
渉外経済学院の教え子が、はるばる2時間バスを乗り継ぎ明照に遊びに来てくれました。「24の瞳」の大石先生の心境です。 渉外学院の教え子に誘われ卒業記念写真会へ。アメリカの大学生に習って帽子を一斉に空へ。
底李君(小生の世話係りのボランテイアとして2年間良く面倒を見てくれました。日本語教師を目指しています)と小柄で陽気な劉君(「世界で一つの花」を愛唱。共産主義青年団優秀生とは思えぬ、明るく屈託のない生徒) 夕食会の後、3年生クラスで「黒一点」の王君が自慢の中国式茶道でお手前を披露。
水餃子作り(3年生)
5人とも、来春、群馬県前橋市の工業団地に3年の研修に出発します。皆、日本語の日常会話には不自由しないレベルです。富士山と桜を見れると胸を膨らましています。小生が懸念した研修生の受け入れ体制・待遇も日本人理事長の説明を聞く限りシッカリしており安堵。3年後には20万元(240万円)程度の貯金を持って帰れる筈です。中国では、彼女達が15年働いても残らない金額です。
「農家楽」 みんなでBBQを楽しむ。
「一寸、火が強いよ」 「先生、味見、ドーゾ」
2)日本週間(JAPAN WEEK)
  長沙市日本人会と長沙市が主催し三一重工(本社、長沙)、日立車両電機、関西ペイント、平和堂などの日系企業が後援する恒例の日本週間の祭りが今年は湖南大学で開催されました。
  初日の11月12日は湖南大学で日中相互スピーチコンテストがあり、13日は同校の運動場でコスプレコンテスト、パーフォーマンス、日本から来演のプロのバンドの歌と演奏、津軽三味線+胡弓のコラボ等が約五千人の観衆を前に賑やかに繰り広げられました。
  スピーチコンテストでは、先ず当地の大学に留学している日本人学生8名による中国語でのスピーチ、次に日本語科を持つ大学・学院18校の代表各1名が出題の「高きに登り、遠くを望む」をテーマに4分30秒の日本語でのスピーチを競いました。
  明照からは3年生の江君が一番手で壇上に立ち、1か月に渡る特訓の成果を発揮しましたが(添付原稿参照)、スピーチ後の4分間の日本人審査員との質疑応答で緊張の余りスムースに答えが出来ず、残念ながら入賞を逸し優秀賞(副賞200元)に終わりました。
  各校代表も学内選抜・特訓を経て出場しているだけあり、内容もスピーチも甲乙つけ難いものでした。その激戦の中で、優勝したのは、最後の18番目に出た教え子の渉外経済学院3年生の孟君で、夏休みに喫茶店でアルバイトをした時の中年の日本人との心の触れ合いをユーモアを交えてスピーチしました。審査員の質問にも会場の笑いを誘う余裕の応答で、小生も彼女の優勝を確信した出来でした。
  審査員の「日本に行けたらどこへ行きたいですか。そして、それは何故ですか」との問いに「友達は皆、東京や北海道へ行きたいと言いますが、私は大阪へ行きたいです。大阪弁は面白いし、会話を教えてくれた私の好きな日本人の先生は大阪から来たからです」と答えてくれました。
  副賞の1週間の日本招待旅行を獲得した表彰式の後、満面の笑みで小生の所に駆け寄り「先生のお陰で優勝できました」と孟君。ヨイショとは分かっていても、教師冥利に尽きる一言でした。
  渉外経済学院は昨年もこのスピーチコンテストで優勝し、2年連続優勝の栄冠です。また昨秋の湖南省日本語スピーチ大会では2位を獲得。今や、同学院の日本語科の実力は一流国立大学の中南大学、湖南大学にも優ると言えます。「外国語学習」は一般学力とは、あまり相関関係はないようです。

  13日は当院の1年生の「ソーラン節」ダンスチームが、「ソーラン、ソーラン」と声を掛けながら、元気な踊りを披露して、5000人の観衆の大きな拍手を得ました。1か月前は自作の踊りと音楽、チームメンバー間の息が合わず、バラバラだったのが呉君をリーダーとした毎日2時間の汗だくの練習の成果が出て、本番ではみんなの息も踊りもピッタリでした。
「日本語スピーチ大会。表彰式の後で。18番が孟君。表彰状を手に江君。明照の教師、応援の生徒達と。
コスプレコンテスト。出番を待つ。湖南農業大学(アニメ「ほかげ」チーム)中南林業科技大学(メイドカフェチーム)
湖南女子学院、中南大学チーム
湖南師範大学(ハリーポッターチーム)
湖明照・ソーラン節チームと引率の先生
前列ジャンパー姿:佐渡島出身の新人教師。ビール3本一気飲みで男子学生に完勝の酒豪。その右:鹿児島大学留学。薩摩焼酎を懐かしむ日本酒通。バイトで鹿児島弁には苦労するも、桜島と錦江湾の景色は一生、忘れられないと。右端:1年生の中で一番の元気者の呉君
ソーラン踊り。元気溌剌、息もピッタリ。 湖南大学チーム。一寸セクシーなperformance。
3)おわりに
  3年生、2年生共に12月4日のN1,N2の試験を控え、最後の追い込みの勉強に懸命です。底冷えのする暖房の無い教室で試験問題集に取り組んでいる彼女達を見ていると、全員が合格するように祈らずにはおれません。

  GDPが世界2位となったことで自信を深め、トウ小平が唱えた「身をかがめて実力を蓄える」姿勢を捨て去り、なりふり構わず「大国」を目指す中国。しかし、他方で、三権も軍も党に服する一党独裁統治は、急速な経済発展に比例して様々な社会格差を拡大させました。東沿岸部と西内陸部、都市と農村、都市戸籍住民と農民工、一部特権階級とその他との格差です。そして、今や1%の富裕世帯に全国の富の40%までもが偏在するという、いびつな社会を生み出しました。
  その歪に国民の(特に農民工の)憤懣が溜まり、きっかけさえあれば、大規模なデモとなり噴出します。この綻びを繕い、一党支配を揺るぎないものとするのには、最早、古い革命思想は役に立たず、「偉大なる中華大国人民」の「ナショナリズム」に訴え、党への求心力を高める手法が用いられていることは、皆さんが御承知の通りです。戦前のナチスや日本の軍事政権が使ったのと同じ手です。今後も、憤懣が表面化する度に国民の目を外に向けるための日本を標的とした「ナショナリズム」による「反日愛国」運動が起きることが懸念されます。 
  
  一方、日本に目を転じると、2010年10月時の内閣府の世論調査によれば(尖閣諸島問題が影響しているとは思いますが)「中国に親しみを感じない」が77.8%、「日中関係が良好とは思えない」が88.6%をも占めています。悲しいことに、これでは日中が「一衣帯水」の地にあるにも拘わらず、両国の隔たりは縮むどころか広がるばかりです。
  
  しかし、中国の深刻な国内問題を「それ見たことか」と快哉したり「中国異質論」や「中国脅威論」を声高に叫ぶだけでは何も生まれません。
  今や日本経済は中国無しには成り立たない現実を直視すれば、中国と適切な隣人関係を築いていくことは日本にとり不可欠なことは自明の理です。それを進めるには(江君が言うように)こちらも相手の「物の見方や考え方」を理解することがMUSTでもあります。中国とて当地に根を生やした日系企業は国富を  産む大切な財産であり、これを大事にすることはあっても放逐することはあり得ません。また、日に日に深刻さを増す環境汚染問題を解決するためにも日本の高度な技術やノウハウは喉から手が出るほど欲しいのが正直なところです。日本の政治家や外交官は相手を知り、「何でもありの中国」「したたかな中国」に負けない知恵としたたかさと持たなければなりません。  
  
  ただ、個人的な経験から独断的に言えば、一般の中国人は日本人の品性と勤勉さを高く評価しMADE IN JAPAN製品の素晴らしさを口々に称賛する素直さがあります。また、個人ベースでは、誠に分かりやすく底抜けに親切な人々です。(一方、韓国人は35年に及ぶ日本の過酷な占領統治下で、氏姓名ばかりでなく母語さえも奪われ日本語を強制された屈辱が怨念となり「日本にだけは負けたくない」との気持ちが未だに強く、日本や日本人に対して素直になれないように見受けられます。)

  実は、中国は「孔子学院」の世界展開によって中国語の普及と中国への理解を深める拠点作り戦略を2004年から始めています。学院開設・運営費用の一部を中国政府が負担しており、今や、その数は2010年10月時点で96カ国、332校にまで及んでいます。日本でも既に、早稲田、立教などの大学13校に開設されています。片や、我が日本は、国際交流基金が展開する日本文化センターの海外拠点が未だに21カ国・22か所を数えるだけです。
  「孔子学院」で中国シンパを育成する方法は迂遠かもしれませんが、確実な方法です。現に、小生の教え子(約500名)は日本語学習を通してほぼ全員が知日家か親日家となり、日本人の価値観を共有出来るようになりました。前述のスピーチコンテストでも、「小さい頃に刷り込まれた”ちょび髭の恐ろしい日本軍人・小鬼=日本人”のイメージが日本人教師と触れ合う中で、完全に払拭された」こと、また、「JR北海道の社長が鉄道事故の責任を自らの命で償うと言う驚くべき責任感に比べ、多数の死傷者を出した温州の高速鉄道事故では未だに誰も責任を取っていないのは中国の恥である」とか、「東日本大震災の時、公衆電話の前で列を乱すことなく辛抱強く順番を待っている東京の人々に比べ、常に我先にと列を守らない中国人は恥ずかしい」等のスピーチがありました。
  事の是非を判断するのに、欧米人の如く「(神の前での)善悪」ではなく、その前に「恥か否か」を問うのは、日本人と同じ価値観を持っているからに他なりません。かかる日本語学習者の中から一人でも日中関係を支える人材が出れば、中国で頑張っている全ての日本語教師にとって、この上ない喜びとなります。
  
  日本を知り、日本人の価値観を共有し理解する若い世代が育っていけば両国の距離は近づき、少なくとも「無知」による日中の衝突は起きないでしょう。また4.5億人とも言われるネット・ユーザー、その中心となる80后・90后(1980年代、1990年代生まれの若い世代)の「知りたい」欲求を抑え込むことは、いくら当局がネットアクセスを規制してももぐら叩きに終わるでしょう。さすれば、中国の若者も「世界の今」を知り、何がbetterなのかを判断する客観的な情報を入手し官制情報との差異を認識できるでしょう。(中国最大のネット「百度」で、主要な日本のTV News,ほぼ全てのTVドラマ、アニメ、音楽、映画が楽しめます。今、評判の「家政婦のミタ」もそうです。) 
  
  国際交流基金によると、2006年時で海外で日本語学習がなされている国は133か国、日本語学習者数は298万人(内、中国が68.4万人)、日本語教師数は41,530人(うち、日本語を母語とする者は約30%)です。海外での日本語教育の普及は、草の根的で地味であり、国益として顕在化するまで長い時間がかかりますが、下手な外交に優ると確信しています。
  蓮ボウさんが主導した「仕訳け」で国際交流基金の予算の減額が提言されましたが、  中国の大学図書館の日本関係書籍蔵書の貧弱さを見るにつけ、海外教育機関での   日本語書籍・資料の購入支援や日本語普及の予算は増額すべきと思います。中国の孔子学院戦略に遅れをとってはなりません。高速増殖炉「もんじゅ」の維持費だけに年間200億円もの金が使われてきたことを、つい最近知りました。文科省は見込みの無い「もんじゅ」は閉鎖し、その数パーセントの予算で良いから、海外日本語教育機関への支援に使い、日本語話者と日本ファンを増やして行くべきです。
  
  長い便りを読んで頂き、有難うございました。小生、来年6月末には本帰国して、一端休憩した後、また何処かへ出かけたいと思っています。ただ、相方に見捨てられない程度に。

3期 坂本憲昭

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