3年前に

 3年前に、嫌がる私に「目標が無いのなら日本語を勉強しろ」と言った父がいなかったら「日本」と言う国と日本人に尽きない興味を持ち続けている今の私もいなかったでしょう。実は、その頃、私は日本について全く興味を持っていませんでした。それどころか、小さい時にテレビの戦争ドラマにでてくる恐ろしい日本の軍人を見て、日本も日本人も嫌いでした。

なぜ、父が「日本語を勉強しろ」と言ったのか分かりませんでしたが、父の言いなりに育った私は考えもせず「仕方がない。日本語でも勉強するか。ひよっとして、就職に有利かもしれない」と思って、日本語の勉強を始めました。

しかし、田舎へ帰る度に、日本を嫌いな友達から「日本は敵だ」「南京の悲劇を忘れたのか」「どうせ勉強するなら英語にしろ」などと、非難されました。それを聞いて、私は、暗い気持になり、「もう日本語の勉強はやめようかな」と、ふさぎ込んでしまい、勉強をあきらめかかっていました。

そんな時です。3月11日、あの東北大地震が起きたのは。普段、あまりテレビのニュースを見ない私も、すさまじい大津波に呑みこまれて跡形もなくなってしまう町や村の惨劇の映像に釘づけになり、その恐ろしさに鳥肌が立ちました。
 しかし、その数日後に目に映ったのは復興のために必死に頑張っている人達の姿でした。町の職員や医者や看護師達が不眠不休で働いていました。髪を金色に染めた若者も懸命に救援物資を運んでいました。ある日には、母親を津波で失った中学生の女の子が「自分が悲しんでいても何も始まらない」と、被災者のためのコンサートでフルートを吹いているのを見て、私は涙が止まりませんでした。

私は、そこに「真の日本人」を見ました。
その姿に心から感動した私は、同時に学校の植田先生のことを思い浮かべました。新任の植田先生はいつも親切にしてくれて、担当の会話だけでなく、歌を教えてくれたり日本料理を作ってご馳走してくれたり、日本のことも沢山話してくれました。それなのに、私が幼い頃に刷り込まれた嫌(いや)な日本人の記憶は、心の奥底から消え去ってはいなかったのです。
しかし、「真の日本人」の姿は、私が間違っていたことに、気付かせてくれました。
「自分は日本語を話せるようにはなったけれど、日本や日本人については何も分かっていないのではないか」と。最も大切な「日本人の物の見方や考え方」について何も分かっていなかったことを。

今、私は普通の学生で、中国と日本の間にある難しい問題は良く分かりません。
ただ、両者に何かの問題があるとすれば、それは互いが相手を知らないために生まれる誤解によるものに他なりません。中国と日本は一衣帯水です。次の世代を担う私たち中日の若者は、先ず、お互いを知ることから始めなければならないと思います。

私は、日本人の物の見方や考え方を理解し、何時か日本で日本の若者と直接語り合うために、もっともっと日本語を勉強しようと思っています。
「高きに登り、遠くを望む」
私は、いかに険しくても、厳しくても日本語の頂上を目指して登り続けます。

ご静聴ありがとうございました。