ムガール帝国時代の要塞、世界遺産「ロータスフォート」訪問記

織田信長が、鉄砲隊で武田の軍勢を蹴散らしていた同じ頃、インドも群雄割拠の戦国時代。
攻め入る敵は象の大群を率いた10万の軍隊。
その敵に、僅か1万の軍隊で勝利を収めたアフガン出身の知将がいた。


火縄銃や大砲火薬を用いて、敵を蹴散らしたインドの織田信長。
やがてパキスタンからインドまでを支配する帝国の勇猛果敢な始祖。
しかも詩人でもあった、ジンギスカン直系の5代目。その名はバーブル。
インドのムガール帝国は、呼称どおり「モンゴル人の帝国」でもあった。

水彩画  「石と煉瓦の城壁」

そのバーブルに仕えながら、反旗をひるがえした印度の明智光秀もいた。
無名の地方部族の息子だったが、行政手腕を買われて抜擢された、
「虎の王」シュール。バーブルの死後、その息子を放追、自ら王となる。
勝ち目がない数倍の敵陣へは密書をはなって撹乱。相互不信に陥った
敵陣は戦わずして崩壊。権謀術数を労する巨漢の策士家でもあった。

ムガール帝国の復活を阻止するため、アフガンと印度を結ぶ交通の要所に
彼が建てた万里の長城のような堅固な要塞。それがこのロータスフォート。


パキスタンの緑濃い美しい首都イスラマバードから1時間。
世界遺産でありながら、いまなお多くの人が居住する広大な要塞。
銃眼が並ぶ回廊、城壁を登ってくる敵に溶けた鉛や熱湯を流した樋。


その堅固さゆえに、攻め込む敵はなかったが、虎の王は道半ばで死去。
石板の突き出た見張り台にこわごわ立つと、壮大さが一層迫ってくる。


やがてムガール帝国は、7代目のアクバルによって再興される。
宗教、人種を差別しない賢明なアクバルの政策が効を奏し繁栄を極める。

水彩画   「石の要塞」

しかし日本が明治維新で近代化を図る頃、東印度会社の巧妙な術策で
遂に大国は崩壊、英国の植民地支配の基で長い辛酸の日々が続いた。
やがて、痩せた螳螂のような老人の偉大な思想で独立を果たすまで。

今日の一枚 「世界遺産  ロータスフォート」
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