坂口邦雄さん追悼

2011年5月26日、9期の坂口邦雄さんが、逝去されました。
坂口さんは、このホームページ立ち上げの時、名称をかつての部誌と同じ「峠」とすることを発案されるとともに、様々なアドバイスを下さり、支えてくれました。
また、関東地区の行事にも積極的に参加し、活動を陰から静かに支える存在でした。
そんな坂口さんを偲び、追悼のページをささげます。
12期 古沢衆一


坂口さんからのメール
2011年5月31日
秋月 望
9期の中でOB会のメーリングリストへの書き込みが一番多かったのは坂口ではなかっただろうか。OB合宿や納会、それに松尾さんのカレンダー注文にもいち早く反応するのはいつも坂口だった。こちらが怠けていたせいで、OB会の山行きやOB合宿で顔を合わせたことはなかったのだが、平地ではそれなりに会っていた。うちが家族で北京に居た1992年に、北京の崑崙飯店で一緒に食事をする機会もあった。
2006年の4月だったと思うが、九州から後藤が出張で来るというので、坂口のアレンジで彼の本拠地だった田町で9期の何人かが集まった。話題は「退職」「年金」「病気」に偏りがちだったが、「久住」とか「丹沢」でも盛り上がった。坂口の語り口は、関東暮らしが長いのに長崎のイントネーションが感じられる。このとき、坂口から「内視鏡検査でさっ、大腸のポリープが見つかって取ったっさ」という話が出て、「ポリープなら俺だって…」とひとしきり内視鏡談議になった。
その数日後に坂口からメールが来た。

 
実は、当方、明日から入院することになりました。
 先日、少しお腹の調子が悪かったので病院に行ったら大腸の内視鏡検査を勧められ、検査した結果、大
 腸に癌らしきものが見つかり、急遽入院することになりました。多分、手術することになるので、明日以降
 しばらく、メールを読めませんので、よろしくお願いします。復帰したら、またご連絡します。


この時、坂口は見事に復帰を果たした。

 
先日お知らせした通り、入院、手術しました。大腸の奥の方(上向結腸)に癌が見つかり、切除しました。
 幸い発見が早かったので、他の臓器への転移は見つからず、本日、無事退院できました。ご心配おかけ
 しました。
 しばらくは自宅で静養する予定です。
 アルコールは3〜4ヶ月はだめみたいですが、皆さん、集まる機会があったら、また声をかけて下さい。

復帰どころか、坂口は静養すらしなかった。この年8月のOB合宿を知らせるメールにすぐに参加の返信をしている。それにこの年の納会にも出ている。参加しますと手を挙げるメールを見て、坂口の完全復帰を信じて疑わなかった。翌年正月には、また9期で昼飯を一緒にする機会があり元気な姿で「年金」「病気」談議に花を咲かせたし、秋の納会でも顔を合わせた。

その後も2008年の夏合宿、納会、2009年の春合宿に夏合宿、2010年1月の関東地区ワンデイハイクに参加を表明する坂口のメールを見ながら、関東のワンゲル9期は坂口でもってるんだと思っていた。参加しない時でも差出人:k.sakaguchiのメールが来ていた。そして、この5月26日に坂口逝去のメールが届いた。
 
今あらためてこれまでのメールを探し出してこれを書いている。そしたらこんなメールがあった。去年の9月のワンデイハイクについての返信なのだが、

 
坂口(9期)です。
 25日は残念ながら参加できません。またの機会によろしくお願いします。
 最近はすっかり山から遠ざかってしまいましたが、この夏は2400mまで“のぼり”ました。
  http://www.youtube.com/watch?v=3nJCUBwrSMo
 (暇なときにでもご覧ください)


その時は見過ごしていたのだが、そこには坂口が愛車のパジェロで「登った」動画がアップされている。去年の正月の本栖湖からの富士の日の出、去年の夏の林道のドライブ、そして今年2月の富士スカイラインの雪道の動画が最後である。
きっと坂口は最後まで雪道を走ったり高いところに行きたかったのだろう。
そして、とうとう天国にまで登っていってしまった。たぶんそこでもっと高いところ、登れるところを探しているのだろう。

また、連絡ください。こちらからも声をかけますから。

OB会での坂口さん

関東地区春合宿・西湖(92.5.23) 関東地区春合宿・ヤビツ峠
OB合宿(99.8) OB合宿・日光(2004.8.5〜8)

最後の参加になった関東地区新年会・神田(2011.2.19)

坂口さんの思い出 1
2011/06/01
入江 邦洋
9期の入江です。ワンゲル時代の彼との思い出は、とくに3年の時でした。
大学3年の春合宿、九重山登山の時、私がリーダー、彼がサブリーダーで先頭を歩くという分担で登りました。大低気圧が襲ってきて大変だったこと覚えています。
二人で思案、進むべきか?集結地まではかなり行程残していたので迷う。テント張って我慢、結果OKでした。テントに雨に混じって小石がぶつかるほどの強風。事故にならずにすみました。ホットしたのが本音。
私が大学時代、中国にどっぽりの時、天神のスポーツセンターで毎年、夏に実施されていた「中国物産展」のアルバイトに彼を誘いました。この春合宿で彼と親しくなったのが縁で、3年の夏でした。宣伝カーに乗りました。二人別の車の運転手(一人で)、中国語の革命歌を流しながら、ゆっくり住宅地など巡回。
彼、記憶力が良かったせいか?朝から晩まで宣伝カーで聴かされたせいか?歌を覚えていたようです--

昨年2010年1月31日の彼からのメールを下記します(第一回ワンデイハイク高尾山に登った後のメールです)。

 
入江様
 昨日はお世話になりました。6号ルートは良かったですね。残念ながら登るのに精一杯でゆっくり話もで
 きませんでした。
 また、ゆっくりお会いしましょう。
 入江君には、学生時代に中国展のアルバイトを紹介してもらい、宣伝カーの運転をしたことを思い出しま
 す。そのとき、車の屋根に付けたスピーカーから流れてた歌はこれでした。
   http://www.movie3mai.net/d4oxYtc9wksc.html
 この歌がラストエンペラーの映画の中で出てきたのを聞いたときには、すごく歳をとったような気になりま
 した。その後、聴く機会もなく、長い間、記憶の中にのみ留まっていましたが、便利になったもので、
 googleの検索で出てきました。


最後にお会いしたのは、昨年の納会ででした。もう少し会ってれば と悔やまれるばかりです。
合掌!!

坂口さんの思い出 2
2011.05.29
カンタロウ(後藤 保典)
突然の貴方の訃報を聞き、愕然としております。
最後のお別れに行きたいのですが、それもかないません。会社勤めの悲しさです。
申し訳ない。
それでも、貴方に語りかけたくて、この文を書いております。

貴方と知り合ったのは、大学のワンゲル部室でした。
酒の席では、ずいぶん迷惑をかけました。不思議と山での思い出がでてきませんが。
酔って、貴方の下宿に押しかけ、こたつに入り込み、体が温まると同時に気分が悪くなり貴方の湯沸し器にもどしたこともありました。
夜を徹して青年特有の話をしたこともありました。ただ、ワンゲル仲間ということからか時代を反映した議論はしたことが無かったと記憶してます。お互いそれは、避けていたような気がします。
就職してからは、離れましたが、貴方が、名古屋勤務時代に家に寄らしてもらいました。私は、まだ独身で、相変わらず、酒をしこたま飲んでいた頃です。貴方は、既に結婚して、子どもさんがいたと思います。「相変わらずやな」と言われたことが、記憶に残っています。
酒を飲んでは、夜電話かけたことも度々でした。酔っ払いのたわごとによく付き合ってくれました。ありがとう。
東京に出張時は、度々、田町近辺の飲み屋で、愚痴を聞いてくれました。
「癌の手術する」「経過良好、又勤めてる」と連絡有り、術後も飲み方に付き合ってくれてありがとう。
「もう、退職するよ」と連絡あり、これからゆっくり山歩きをするんだなと思っていたのですが、こんなに早く逝ってしまうとは。
これから、久住高原を一緒に歩き回れると思っていたのに。
私の家に泊まって、阿蘇の温泉へ出かけようと思っていたのに。
こんなにも、早く逝ってしまうとは。

お別れに行けませんが、九州の地から手を合わせます。
合掌。


現役時代の坂口さん

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