東部ヒマラヤ山脈カンリガルポ山塊遠征
-標高5000mの氷河を滑る-
1期 松尾 治
無名峰6000m
2005年の秋、10月19日から11月20までの33日間、日本山岳会アルパインスキークラブのヒマラヤ遠征に参加した。
目的地はヒマラヤ山脈東部のカンリガルポ山塊(有名でない)の5000m峰。この山を中国のチベット側からアプローチした。この山塊は登山隊が入った実績が非常に少なく、5000〜6000mの未登峰が多くある山域である。そして、その山頂からのスキー滑降が今回の遠征の目標であった。
10/19に成田を発ち、成都経由でチベットの首都のラサ到着。日本隊員は私を含めて10名。チベット人ガイド1名、ガイド助手1名、ランドクルーザー3台と貨物トラック1台のドライバー4名、食事担当のコック2名、総勢18名でラサを出発。
ラサで高度順応のため3泊したりして標高4000mの登山口のベースキャンプに着いたのは、日本を発って1週間後の10月26日。高度順化に日数をかけた結果、問題の高度順化は全員問題なく順応できた。

第2キャンプまでは7頭のヤクに荷物を運ばせたが、その先は、ポータ、シェルパが雇えるネパールと異なり、ポータ、シェルパが存在しないチベットでは現地人の協力はゼロ。すべて我々自身で荷揚げをしなくてはならない。
流氷浮く氷河湖
第2キャンプから最後の第3キャンプまでは事前にボッカして分散して荷揚げを行い、なんとか第3キャンプを設営できた。第3キャンプ設営後の3日間は予想外の悪天候で、ブリザード続きの厳しい期間もあった。その後は、この時期のチベット特有の雲一つない紺碧の空の連続。
第3キャンプから、ヒドンクレバスを警戒し全員ザイルで繋いで氷河を登高。5000mのピークを目指したが、時間的に余裕がなくなり、登頂は目前で断念。私以外の隊員達はその場所から見事なスキーで滑降、その氷河での初スキーの実績をあげる事ができた。
第3キャンプ
5000m峰をめざす
 氷河にて
単独でスノーシューの私は、ヒドンクレバス対策として2本のストックとアルミパイプで作った3mの棒を携行しながら危険な氷河を下った。その日の内に全員事故もなく第3キャンプまで下山することができた。
最後に、チベット東部の山々は6000〜7000mのピークが沢山あり、侵食が進んでいて鋭い山頂を持つ山が多い。山の姿ではヨーロッパアルプスよりはるかに迫力があると思う。しかし、多くの山が無名で未登峰である。

日本人隊員の平均年齢は65才と高齢であったが、さすが、日本山岳会の山スキーを愛する面々。厳しい高度と天候であったが、一人の落伍者もなく、そのタフさには感心した。日本山岳会の東京と東北の会員からなる急造の混成パーティであったが、雰囲気は和気あいあいとしていて、長い旅の期間も楽しく過ごせ、良き思い出が多い旅であった。
                          
ナムチャバルワ峰7782m
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