No.13
2007年8月26日 
     南ア最大の旧黒人居住区のソウェトの様子です。
南アに来て1ヵ月半が経ちました。これまで南アの自然・大地の雄大さなどをお伝えしてきましたが、一方で暗い側面もあり、今回は、これを表面だけですが少しだけ紹介します。第13回目は「南アの現実」です。

以前にも書いたかもしれませんが、「アフリカ」の言葉で多くの方が想像されるイメージとは違って、南アフリカ共和国は豊な資源を持つかなりの先進国です。自然環境保護などの面では日本よりよほど進んでいます。
街中のショッピングセンターやスーパーマーケットに行けば超高級ブランド品から日用品・食料品まで何でも揃っています。ちなみに物価は消費税14%がかかるので日本と大体同じ程度です。大邸宅があちこちにあり、車は隣近所を見ても大抵の家で2台はあります(ダンナ用と奥さん用)。ついでながら車の価格は日本より高く、仕事であちこち行くため最近2002年式のトヨタカムリ(南ア製です)の中古車を買いましたが、日本円にして約150万円しました。
このように大自然の美しさを各地に残しつつ、金・ダイヤ・プラチナ・銅・鉄・ウランなどの鉱物資源に恵まれ、経済的にもアフリカ大陸最大の国となっている南アですが、ほんの一昔前までは全人口の15%にも満たない白人による国の中枢支配が続いていた影響を現実として知っておかなければならないと思います。
憲法改正によってアパルトヘイトが撤廃され、投獄されていたネルソン・マンデラが復活し大統領になったのは19991年および1994年と比較的最近の事です。
バスコダガマが喜望峰を回るインド洋航路を発見した1497年以来オランダ人が入植し、続いてイギリス人が来て植民地化し、金鉱の発見によりゴールドラッシュが起こり、インドなどから人を入れ、利権を争う戦争が起こり、その後もナンダカンダとあった長い間ずう~っと白人による支配が続いてきたわけです。
南ア最大の旧黒人居住区のソウェトの様子です。
以前はこんな様に場所を隔離されていましたが今でもかなりの人が暮らしています。外から眺めるだけでまだ中に行っていませんが、時間を見つけていく予定です。
(こんな事を白人に話すと「そんな危ない事はやめなさい」と皆さん口をそろえて言います)
ソウェト地区ではありませんが、貧しい人達が勝手に掘っ立て小屋を建てて住み着いているところもあります。国の許可など取っていないので電気来ていません。
街中の信号待ちする交差点ではこのような物売りや物乞いの人も多くいます。
今や南ア国民はどんな民族でも平等に自由と権利を持ち色々な分野で活躍していますが、貧富の差は人によって大きな隔たりがあります。
アパルトヘイト撤廃で多くの黒人が地方から都会(特にヨハネ)に流れ込んできましたが、アパルトヘイト時代に形成されたゆがみはそう簡単に是正される筈はなく、また教育レベルの問題もあり、良い職がそう簡単に見つかるわけはありません。
ちなみに南アの失業率は27%で、白人でも職にありつくのは結構困難な現状です。大都市に流れ込んだ人達の中には仕方ないので(?)強盗・殺人などを犯す者もおり、これが『ヨハネスブルグは世界で最も危ない都市』と悪名をこうむる所以です。現実に治安の悪化により白人系を中心とした住民や会社,ホテルが拠点を郊外に移しています。
おじさんはほとんど毎日会うのですが、「I AM HOMELESS」と書いたポンチョ(何と呼ぶのか名前が出てきません)を着て、「朝から何も食べていない」と言いながら、ホームレスを紹介した新聞?を売っています。この明るさには参ります。
ついでに事務所兼宿舎にしている隣近所の写真です。この辺りは比較的良い家が建っていますが、中の上程度ですかね。
南アが長い間敷いていたアパルトヘイトは良くない事だと小生は思っていますが、その全てが悪い事だけではなかったとも思います。 南アがここまで発展したのも、他のアフリカ諸国と違って早い段階で世界の表舞台に登場し、独自の文化を育んできたためだと思います。人種差別やそれに反抗する人達への攻撃など悲しい歴史や貧富の差などの現実もあるが、それを乗り越えて明るくドンドン動いているエネルギーを感じさせる国です。

奥が深いこの国のいろんな部分を探ってみたいと思っている好奇心旺盛なオジサンです。今回はチョッと堅すぎ長すぎる話になってすみません。

それではまた、
永田
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